第14話
わたしたちは見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです(新約聖書 コリントの信徒への手紙 4章18節より)
…
二人の頭上に、月が冴えていた。
夢中で階段を駆け上がり、
目の前のフェンスをくぐり抜け、
やっと追いついたそこは、大きな炉もある工場のように思えた。
今度こそ、逃がしたくない。
そんな想いが、ミキティの歩みを、いつも以上に慎重にさせていた。
足下の曲がりくねったパイプを避けながら、歩み寄る。
「フッ…第2ラウンドでも始めるつもりか?キュリオの秘密でもつかんだか」
その声に足が止まる。
(知られてる!いや、そんなはずは…こいつ、何者なの?!)
しびれるような緊張感が、その場を支配した。
この第2ラウンドのBGMは、ケミカルブラザーズあたりだろうか。
「お前はここが何の場所か、知ってて追ってきたのか!」
ミキティの背中で、フェンスが大きな音をたてた。
ロン刑事と名乗る得体の知れない男が放つ何かに、気圧されたのだ。
自分では前に進んでいると思っていたのに。
大きく息を吐き出すと、ミキティは考えた。
確かに、この男の言うとおりかも知れない。
最近の自分は、追うことしか頭になかった。
そして気がついたら、
こんなところまで来てしまった。
さらに悪いことに、追いついた後のことは考えてなかった。
そうなったら、そうなった時に考えればいい。
これはやっぱり自分の悪い癖かもしれない。
ミキティは、初めてそんなことを考えたりした。
仮にこれ以上進んだとして…
「21歳・職業 アイドル」の自分に、一体、何ができるというのか。
ここは、自分たちなんかが知ってはいけない世界に通じる扉かもしれないのだ。
だが、
(引くわけには、いかない)
ここで引くには、あまりにも犠牲を払いすぎていた。
(わたしの大切なもの、それは誰にも…誰にだって、壊す権利はないの)
「わたし、アンタだけは許さないから!!」
絵里が先導する形で、二人は構内を走っていた。
「亀ちゃん、もっと急いで」
「ハイ!…でも」
「どうしたの」
「えっと…言いにくいんですけど」
「もしかして…えっ、迷ったトカ?」
「はい、思いっきり。。。ここの迷子センターを探します?」
「ああ、迷子…ええっ?!」
「すみません!紺ちゃん」
謝る絵里を前にしてしまうと、紺野も何も言えなくなる。
「あっ、いいよいいよ。だって美貴ちゃん、追いついてないかも知れないし、もし追いついてても、、、無茶は、しない…よね」
「でも…藤本さんですよ?」
単純ではあるが、これほど説得力のある切り返しもない。紺野はわけもなく焦ってしまう。
「だ、大丈夫だって。ホラ、美貴ちゃん、大人っしょ」
「ホント〜に、そう思います?」
少しの間、返事を待っていた絵里の唇が、きゅっとなった。
「じゃあ紺ちゃんに、今日の午後のことを全部、お話します」
絵里が紺野に向かって話し出したその場所は、ついさっきまでミキティが駆け上がった階段があったはずの場所だった。
「私たちは様々なものを見ていると思っている。わかっていると思っている」
刑事は、静かに語り始めた。
まるでミキティが言ったことなどお構いなしだ。
「だが、本当のところ、私たちは何を見ているんだ?どんなふうにわかっているっていうんだ?」
「それ、わたしに聞いてんの?」
ミキティの切り口上にも無反応だ。流れるような日本語で、静かに語りつないだ。
「以前、海洋国で火山が噴火した。それからしばらくは、日本でも夕焼けが美しく見えたという。遠い南の国の自然災害が、大海原を隔てた国の奇跡的な光景となったのだ」
おや?とミキティは思った。
(この人、、、震えてる?)
「様々なことを見ていない私、いろいろなことを知らない私、何もわかっていない私」
男の表情は暗くてよく見えないが、声はどんどん低くなっていた。
これまで年齢不詳の風貌があまりにも印象的すぎたせいか、思いがけない若さ、いや幼さまで感じさせる声に、ミキティは驚いていた。
「そう、私たちの人生とは誰かによって支配されているものではなく、自分自身の力によって切り拓いていくべきものなのだ」
その内容に似合わず、言葉が、誰の目にも明らかなほど弱々しくなってきた。
「ちょっと、大丈夫?」
「自分自身の力によって、切り拓いていくべきものなンだよ…!」
つづけ…