12年前の今日

2007.1.17



12年前の今日のことを書くのは気が重いのですが、
先日の吉澤ひとみさんの行動以来、心がザワザワしています。
大切な人を失った後の行動として、非常に感じるところがありました。
震災で、ぼくの親しい人は無事でしたが、12年前に感じたことを今、思い返しています。




文字通りの激震が走った。
外に飛び出して、近所の救助活動に夢中になっているうちに夜が明けた…のだと思う。
我に返ったときは、そこら中の道はひび割れ、垂れ落ちた電線から火花が散っていることに気がついた。
ガスもれのような異臭がしており、一刻も早くここを立ち去らなければならないことを知らせていた。
気持ちが焦るのは、情報が少なかったせいもあった。
電車は腹を見せ、高速道路までもが倒壊していたのを、この目で見るまで知らなかった。
いつもなら短時間で移動できる距離が、はてしなく遠く感じられた。


この日は青空のハズだった。
ひどく寒かったけれど、予報は晴れだったと記憶している。
おそらく神戸市を離れれば、太陽は見えたと思う。
けれど、ここの空だけは、立ち上る煙で、何時になっても真っ暗なままだった。
そんなに離れていない場所で、建物が音を立てて崩れるのが見えた。
余震だ、と思った瞬間、
また、もうもうとした煙が立ち上った。


火災現場は時を追うごとに拡大し、焼けていく建物を茫然と見つめる人がいた。
財産を失った人、
大切なものを失った人、
そして大切な人を失った人。
避難所には、人びとがあふれた。


何をするにも行列ができた。
水をもらう、炊き出しをもらう、公衆電話をかける。
けれども行列に並んでいて、割り込まれたことは一度もなかった。
みんなが譲り合う光景は、それだけで心が温かくなるものだった。
自然災害は、悪い意味で平等に人びとに被害を与えた。
子どももお年寄りも、わがままを言う人なんか、いなかった。


今のように携帯電話が普及してなかった。
安否の確認ができない人がいた。
あちこちに張り紙が貼られ、立て札が立てられた。
いつまで経っても、はがされない張り紙もあった。


このとき以来、ぼくが気をつけていることがある。
それは遠出をするときは必ず家族に行き先と、いつ戻るかを告げること。
そして行列には、できたら、もう並びたくはないけれど、今でも、周りの人から譲られたり声をかけられたりすると、あのときのことを思い出す。


学校は機能を失い、転居したまま、戻ってこない知り合いも少なくなかった。
別れもあったが、全国から駆けつけたボランティアの人との出会いも、あった。
この辺りの体験は、紺野あさ美卒業発表の後、ブログを始めて以降の、はてなを中心とした界隈での体験と重なる。
大切なものを失うのと同時に、たくさんの仲間を得た。
今日は、人への感謝を忘れてはならない、そんな日でもあると思う。
それは、ぼく自身がボランティア活動に従事しながら、同じ被災者に逆に元気をもらったときもあったからだ。




…こんなに書いておきながら、何なんですが、
ここに書ききれないことは、やっぱりあります。
でも、書こうかどうしようか迷いつつ書きました。
今日という日のうちに。
12年経っても、忘れられないことを。