七夕の思い出


「今夜は晴れるかな?」と話しながら歩いていた、今日の夕方。
ふっと、遠い昔のことを思い出しました。
ぼくが小3だった七夕の日のことです。




その頃、ぼくが通っていた塾は他校区からもたくさんの生徒が通うマンモス塾でした。
バスに乗って通っていたその塾は、勉強は厳しかったのですが、夏には合宿、秋にはスポーツ大会、冬にはクリスマス会といった行事をやってくれたのが思い出に残っています。
教室は学校のよりずっと大きく、自分の学校以外の友だちと話せる場所でした。
けれども初めて、そこへ足を踏み入れたときは、噂以上の競争主義に続けられるかだけが不安だったのを覚えています。
実際、辞めていく者もたくさんいました。


最初の日から全教科のテストがありました。
後で知ったのですが、テストは毎週行われ、その結果は教室に張り出されます。
その女の子を知ったのは、ぼくが塾に入った一週間後のことでした。
それは、ぼくにとって初めてのテストの結果が発表される日でした。
早めに到着した生徒たちの、塾の先生によって結果が張り出される瞬間の緊張感の中に、ぼくもいました。
名前と点数がマジックで黒々と書かれている中に、ぼくと全く同じ点数を獲っていた女の子の名前を見たのです。
綾波(当然、仮名です)という名前を『あやなみ』と読むのだと知ったのは、他の子がそう呼ぶのを聞いてからでした。
ぼくの住んでいるところでは見かけないようなオシャレな名前だと、その色白で華奢な女の子のことが強く印象に残りました。
塾ではクラス分けもされたのですが、同点のその子とは同じクラスに入ることになりました。
その塾では全教科の授業があるので弁当を持って行くのですが、同じクラスになって最初の日に、その子のお弁当箱がかわいく、小さいのを知りました。


七夕の日になぜか短冊を書くことになりました。
塾の先生が大きな笹を切って持ってきたようで、とても張り切っていました。
「テストで100点を取れますように」
とか
「○○大学に入れますように」
とかいう願い事を覚えているのですが、残念ながら自分が何を書いたかは忘れてしまいました。
ただ、その子の願い事は、みんなとは違うものでした。
「たまごが食べられるようになりますように」
? と思ったぼくですが家に帰って、それとなく聞いてみました。
「食べられない子もいる」ってことを教えてもらい、かわいすぎるくらい小さな弁当箱と華奢なその子のことが頭に浮かびました。


次の週、その子と顔を合わせても、ぼくには声をかけることはできませんでした。
その子の願い事を知っても、ツラさがわかっても、ぼくには何もできることはないように思えました。
ただ、ぼくが取った行動は、もう処分されようとしていた笹から、その子の短冊だけを誰にも見つからないようにこっそり盗ることだけでした。
ゴミの中から盗ったとは言え、ドキドキしたまま授業が終わるのを待ってたのを覚えています。
この大胆かつ自分勝手な行動ですが、それを今日、思い出しました。


それは今日の夕方、歩きながら、七夕が終わったら笹飾りをどうするかという話をしている時のことでした。
流す川も近所になかったぼくの祖母の家では、笹飾りは短冊と一緒に燃やしていました。
「そうしたら煙が空にのぼって、願い事を叶えてくれる」
と、繰り返し祖母が語ってくれた話を思い出したのです。
ぼくがその子の短冊を自分の小さなポケットに押し込んで持ち帰ったのは、そうしたかったからなんだ、と。
その次の日、小学生のぼくが、家の裏でこっそり短冊を燃やしたことも思い出しました。


結局、ぼくは高学年になりその塾は辞めて、また別の塾に行くようになり、その子とは一度も会っていませんが、大人になった今、ようやくあの時の自分がそんな衝動的な行動に出た理由が説明できるように思えます。。。